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(7) のつづきです。 もうずいぶん前から、 日本語の乱れ というのが話題になって、 そのやり玉によく挙げられたのが、 バイト言葉とかバイト敬語 とか呼ばれる 接客言葉。 こうしたバイト敬語を批判的に論じる人たちは、 ちゃんと美しく立派なビジネス敬語が操れるんだと思いますが、 それは、そうした教育をちゃんと受けた上で、実務で繰り返す中で身についていったものだ という種類のものであることの自覚は あるんでしょうか。 いつの間にかできるようになっていたから、そんなこと教えなくてもできる、 くらいの認識しかもたず、後進にちゃんと教えなかった先人たちの判断の結果が 日本語の乱れとして挙げられるバイト敬語なるものである という点が、すっぽり抜けています。 そんな敬語、ちゃんと教えられた上で、実践しなければ 日本人に生まれて、学校教育を受けてきたからといって、 そうそう使いこなせるものではありません。 私自身、尊敬語・謙譲語・丁寧語を テスト形式などの机上で扱えばバッチリですが(笑)、 実務に臨むに当たっての教育を受けたことがないので、 実務いきなりやれ と言われてもサッパリです(笑)。 そもそも、一般常識的な尊敬語・謙譲語・丁寧語と、 実際のビジネスの場での言い回しは、違うとも思います。 完璧な日本語としての尊敬語・謙譲語を ビジネスシーンで駆使したら、ハッキリ言って絶対浮きます(笑)。 日本語には、 各種シーン、各立場それぞれにふさわしい、それぞれの言い回しがあるのです。 知っていても、いきなりやれ と言われてもできないものを、 知らないでいきなりやれ といわれた日には、本当に同情します。 泳げないのに、泳ぎ方も教えてもらってないのに、 いきなり水の中に放り込まれるようなもんです。 そして、それでも一生懸命 精一杯やると、 今度は 日本語の乱れだのバイト敬語で不愉快だの言われる。 あの、バイト敬語への批判的な論調・世論を聞くと、本当に心が痛みます、ホントに。 本当なら泳ぎ方をまず教えなきゃいけない人々が、 「そんなのできて当たり前」とか「人件費節約」とか いろんな理由で 教えることをせずに、水の中にいきなり放り込んでおいて、 溺れないように 必死でもがいているのを指さして、 基本ができてないと怒ったり、嘲笑したり馬鹿にしたりしている。 バイト敬語に対する批判って、私としてはそんな感じに思えてしまうのです。 生理的機能以外、 何もしなくても初めから「できる」ことなんて、この世になく、 どんなことも、教えなければ、機会がなければ、できないのが当たり前。 「できる」を要求するなら、それなりに教えて、時間をかけて育てなければ。 単純な一つの動作を身につけるのと違って、 日本語は、日本人が歩んできた時間のすべてが凝縮されていて、 ちょっとやそっとで身に付くような単純・簡単なものではありません。 様々なシーンに様々な言い回しがあるだけでなく、 一つのシーンにも、それぞれの立場ごとにふさわしい言い回しや言葉遣いがあります。 生まれて成長していく過程で、 家庭や学校や友人たちとのやり取り中で、 知らず知らずに 日本語を学んで身につけていきますが、 そこで身に付く日本語は、あくまでもそれらのシーンに合った日本語。 バイトや仕事で使う言葉や言い回しではありません。 バイトや仕事という未知のシーンにおいて、 それにふさわしい言葉遣いが要求されるのであれば、 最初にそれを教えることをしなければ、 要求されるような水準の言葉遣いや言い回しができるわけはないのです。 そのシーン・その立場に「ふさわしい言葉」は、 先人たちの積み重ねの中で「型」が出来上がっているわけで、 そんな長い年月かけた中で出来上がってきたものを、 何も教えられずに、短期間で盗みとってマスターできるわけがないのです(笑)。 ちょっと考えればわかりそうなもんです。 なんの言葉遣いの教育も受けず、いきなり接客の場に放り出される。 持っているのは、知識ではなく 「丁寧にしなくちゃ、失礼のないようにしなくちゃの気持ち」 だけ(笑)。 その「お客様に対して失礼のないようにしなきゃ、丁寧にしゃべらなきゃ」の気持ちが、 当人の、これまでの人生の日本語の経験と結びついて出てくるのが、このバイト言葉 と、私は思っています。 失礼のないように手探りで一生懸命、丁寧に話そうと一生懸命、 そうした「気持ち」は、毎度毎度、痛いほどこちらに伝わってきます(涙)。 言葉より前に、まず気持ちありき。 これが言葉の原点。 「決まり文句」的には間違ってるかもしれないけど、 気持ちがあって、それを伝えるために言葉がある。 教えなくちゃ、それ以上の正確なことは出来るわけないわけで、 そんな中では、とってもがんばっていると思うわけです。 wikipedia の「バイト敬語」で例示されているものを 私なりにちょっと。 いろいろ批判的に言われますが、 何の教育もされずに放り込まれても、 「失礼のないようにしなきゃ、丁寧にしなきゃ」の気持ちと、 これまでの「日本語経験を駆使」して、がんばってると思います。 涙モノです。 「グラスのほうはいくつお持ちしますか?」 「お席のほうにご案内します。」 「グラスはいくつお持ちしますか?」 「お席にご案内します」 なのに、余計な「のほう」をつける(笑)。 でも、これ、「のほう」をつけることで、 「グラス」 「席」 と、直接ハッキリ言い切らなくなくなるわけで、 直接的な言い方を避けるほうが丁寧 っていうのは、日本語の常識ですよね。 例えば、人が「死ぬ」ことを、「死ぬ」と直接的な言い方をせず、 「なくなる」「隠れる」「眠る」ってな表現をする。 「人が死ぬ」じゃなくて、「人がなくなる」。 また、言い切りを避ける表現としては、 「それはちょっと…」 ってな感じでの語尾の省略なんかも、キツさが薄れる 日本語の常識的使い方ですよね。 「それはイヤです」と ボヤけさせずにストレートに言っちゃう文化じゃないわけです。 「のほう」をつけることで、 ボヤけなし のストレートな表現を避け、言葉のキツさが薄れる、丁寧になる、 そうした日本語の基本をちゃんと応用しています。 がんばってると思います(笑)。 「メニューになります」 「こちらになります」 これは、「になります」表現がダメ とのことで、 「メニューでございます」「こちらでございます」 が正しいわけですが、 これこそ、教えなきゃできません。 「メニューです」 「こちらです」 だと、ハッキリ言い切りすぎ というか(笑)、 ムダがなさ過ぎてぶっきらぼうな感じで、 「この言い方じゃない」っていうのはなんとなく感覚的にわかるわけですが(笑)、 じゃあ、「です」の代わりに何を使えばいいかとなると、 「これまでの日本語経験」の中から引っ張り出してくると、 「になります」しかないわけでです。 若年層で 「ございます」なんて言い方がサラッと出てくるなんてのは、 相当の特別な育ちじゃなきゃムリなわけで、 普通は、家庭・学校・友達関係 のそれまでの人生の中で、 この「ございます」が使われるシーンはないわけです。 そんな「使う機会(練習する機会)がない言葉」、 「です」じゃないのはわかっても、出てくるわけなく、 そうなると、「になります」あたりに落ち着く、と(笑)。 この「になる」って言葉は、 やっぱり 直接的な言い方を避けるニュアンスを持っているわけで、 「お食べになる」「ご覧になる」 なんて尊敬語に使われてることからも、 ある意味、「王道的な敬語用語」だと思うんですね。 苦し紛れでひねり出すものとしては、最善の選択 と思われます(笑)。 「お箸は1膳でよろしかったでしょうか」 「よろしかったでしょうか」と過去形で確認することについては、 まぁ、英語でも過去形にした方がより丁寧になる、というあれと同じいうことで。 やっぱり感覚的に、直接的な言い方を避ける、ということだと思います。 ただ、この「よろしかったでしょうか」については、私自身は、 「私のここまでの行為・判断はこれでよろしかったでしょうか」 のニュアンスだと思っているので、 過去形がより丁寧だから、という話の問題だけではない と思ってるんですが(笑)。 例文だと、 「私は、お箸は1膳と判断して一連のことをしてきましたが、それでよろしかったでしょうか」 って感じの「気持ち」を表現してる と。 何にも教えられずに放り込まれた彼らは手探り。 そんな中で、持ってる「日本語感覚」を最大限駆使して表現をひねり出してて、 実にがんばってると思います(笑)。 こういうのがイヤだ、これじゃあダメだ、というのなら、 まず初めに、「教える」ことをしなきゃ なのです。 長い年月の中で出来上がってきた正しい接客言葉は 「教える」ことで、初めて、身につけるための下地ができるわけで、 そんな長い年月の集大成、「教える」こと抜きに習得できるわけはなく。 長い年月かけて積み重ねてきた上に、更に「今」が加わって、次に受け渡される。 言葉に限らず、これが、日本がこれまでやってきた形であり、 これなくしては、日本が発揮してきた「特別さ」は生み出せなくなります。 そして、この 過去からの長い年月の積み重ねを 確実に受け取って、 その土台に更に積み重ねを加え、次に送っていくためには、 先人から受け取ったものを次の人に「教える」こと、 そして、時間をかけて「育てる」ことが不可欠。 でも実際は、 受け継いできた土台部分を次の世代に確実に受け渡す という社会的な責任を果たしてないように思えます。 こんな感じのことをやっていると、 拠って立つ土台そのものが、スカスカになって沈んでいってしまい、 結果的に自分たちの首を絞める の一蓮托生なのに。 日本は、この土台部分が密でしっかりしていて、 それこそが、他国より1つ抜きん出ている理由と思うんですが、 その土台の維持・練磨をないがしろにすれば、 他の国となんら違いがなくなってしまうのに。 一日に何度も引き出しを開け閉めする 日本の環境の中で、 もはや当たり前に引き出しが引けるようになり、 そして、日本の環境で育った人なら、誰でもその水準を持っているわけですが、 それは、「体が大きくなったから引けるようになった」のでは ありません。 そうした 日本人には"当たり前"になっていて子供でもできるようなことが できない大人は、世界にはいくらでもいます。 日本人にとっての当たり前"が日本の社会の土台となって、様々なものが生まれてくる。 「バイト敬語の発生」は、そうした土台の現状を映し出しているものに思えるのです。 今回は、バイト敬語のことを例にとってみましたが、 すべてにおいて、今、こうしたバイト敬語的状況になっているような気がします。 教えることをせず、育てることをせず、 なのに、できないことを非難する。 本当なら、教えなければ 育てなければいけない立場、 「できない」ことは自分たちが「しない」結果であり、自分たちの鏡なのに、 それを棚に上げて、他ばかり非難非難。 今の世の中の風潮って、全部このスタンスですよね。 本当に深刻に受け止めるべきは、 「できない」ことではなく、「しない」こと。 「教える」という 「すべき負担をしない」こと。 この世に 教えられる機会なしに、実践(練習)する機会なしに「できる」ことなんてないのです。 またたまに続きを書くかもしれませんが、とりあえずひとまず終わりです。 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました^^ 「できる」 ということ (1) 励みになるのでランキング参加中^^ 怪しいクリックではありませんので、よろしければクリックお願いします。
by xiaokobamiki
| 2010-01-22 02:22
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