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気が付いた方も多いと思いますが、 先の2回の岩絵エントリー、 パスーの岩絵では、角と体の大きさでアイベックスの雌雄が描き分けられていましたが、 ギルギットの岩絵では、角や体の大きさに加え「足」の数も違っていました。 ![]() メスは4本足なのに対して、オスは「5本足」。 もちろん、そのうち1本は足じゃないわけですが、ま、「足」と表現して進めます(笑)。 ![]() ちなみにパスーのほうでは、 アイベックスはざっと見たところ雌雄関係なく4本足ですが、 人間が「3本足」になってます。つまり、描かれてる人間は男性。 身近にいる4本足の動物は飼い犬・飼い猫くらい、という環境で育った私としては、 そのへん(「余計」な1本)は省略してもいいんじゃないの(笑)?って思うし、 これを読まれてる方の多くも同じ感覚なのでは と思うのですが… でもそう思うのってたぶん、環境の産物なんですよね。 それと同じく、オスの「足」を一本多く表現するのもこれまた環境の産物。 ![]() こちらは埼玉県熊谷市出土の埴輪の馬(重要文化財・6世紀)。 この埴輪、出来のよさと表情のかわいらしさで個人的に大好きなんですが、 今回はそれは全然関係なく(笑)、性別表現の方です。 かわいらしいこの子は、男の子。 暗くなっててわかりにくくはありますが、「五本目の足」がちゃんと表現されてます。 神社の狛犬でも、こんな風にオスを表現したものがたまにあります。 で。 前置きが長くなりましたが、 ギルギットの「5本足」で表現される動物の画像を見ていて、 ふと、普賢菩薩が乗っている白象のことを思ったのでした。 普賢菩薩の乗り物は、白象。 この白象、法華経によると、 6本の牙があって、「七支」で地を支える(?← 使われてる字が今の辞書に存在しないので)。 で、「その七支それぞれの下から蓮華を生じる」。(以上、非常に大雑把な私訳です) 私たちが目にする法華経は、 古代サンスクリット語で書かれたものを漢語訳したもの。 その内容を知るためにはそこからさらに日本語に訳することになるわけで、 この「七支」も日本語訳を見ると「七つの足」とされてたりします。 (今回このエントリーをするに当たって、ネットで検索しただけで書いておりますので、間違いがあるかもしれませぬ が) ![]() こちらが白象に乗った普賢菩薩 (国宝 鳥取県豊乗寺/平安時代12世紀)。 ![]() 足元部分。 4本の足の下と、鼻の下、尻尾の下、それぞれに蓮華が表現されています。 蓮華は合計6つ。 法華経には「七支」それぞれに蓮華が生じる、 と されているわけですが、ここでは蓮華は6つしか描かれてません。 ![]() また別の、象に乗った普賢菩薩(重要文化財 奈良国立博物館/平安時代12世紀)。 上と同じような時代のものです。 ![]() 白象。 4本の足それぞれと、鼻の下、 そしてこちらでは、画面中央下の方に小さい蓮華がもう1つ。 尻尾の下に確認できないので、こちらもやはり蓮華は6つですが、 2つの普賢菩薩の絵両方をもとに考えると、 七支とは、鼻、尻尾、そして「五本の足」ということなわけです。 サンスクリット語から漢語に翻訳するに当たって、 なぜ「七つの足(という意味の直接的な漢語)」としないで、「七支」としたのか、 なんとなーくワタシ的にはわかった気になるわけです。 で、ここまでは、 「そんなまわりくどい説明しなくてもそんなことはわかってるんだ」って話なのですが、 岩絵での動物表現と併せて考えてみると、 普賢菩薩の乗る白象を「六支」ではなく「七支」としたところに、 経典が書かれた当時の当たり前すぎる現地の感覚が、垣間見えるわけです。 普賢菩薩は、仏の衆生教化を助ける存在なので、 その偉大さの延長で、その乗り物も、 普通では存在しないような立派な姿の象である必要があるわけです。 だから、体が白かったり、牙が6本だったり、の設定なわけです。 (絵では片側に3本ずつで表現されます) 動物の世界では多くの場合、オスのほうがメスよりも体が大きく、 また、体の大きさだけではなく、 オスのほうが、見た目に美しかったり立派だったりします。 つまり、大きくて立派な牙を持ち、 大きくて立派な体を持つのは、当然オスの象、となるのです。 あれだけ単純であるにもかかわらず、 大きさなどの特徴で雌雄についてはしっかり描き分ける岩絵の感覚をみると、 普賢菩薩の乗る象 = 大きくて立派な象 = 当然オスの象 というわけです。 「六支」、つまりメスまたは中性、ではダメなわけです。 大きくて体も牙も立派な象はオス、という認識なんですね。だから「七支」。 古代サンスクリット語で経文が書かれた時代や場所を共有していない上に、 直接に当時の大元の経典に触れることも難しい環境なわけで、 ニュアンスなどが伝言ゲーム的に変わってきたりするものです。 日本では仏像・仏画は、中性的に表現されるものが多く、 そうしたものを普通に目にしていると、性別視点を意識することもなかったので、 普賢菩薩の乗る白象が、なんでさらっと流せる中性的な「六支」じゃなくて、 ある意味生々しい「七支」なんだろうか、って引っかかってたんですが、 岩絵の「5本足」表現を見て、氷解しました。 動物と共に生活する環境、 周りに人がいるのと同じくらい、 切っても切れないくらい身近にいろいろな動物がいるような環境の世界では、 オス・メスの区別にこのあたりの表現をするのは生々しくもなんでもない「当然」の感覚で、 逆に、特別なシーン以外では動物との接触がなくなってくるような、 ある意味洗練された環境になってくると、 こうした表現を、「直接的過ぎ」「生々しい」って捉えるようになってきて、 敢えてそうした表現はしなくなってくる、そんな感じなのかな。 だから、優美な平安貴族の社会の中で生まれた上の2つの普賢菩薩像では、 象の足元の蓮華の数を厳密に追わなくなってたり、 「五本目の足」の表現を入れるにしても、かなり抽象化して、 なおかつ付属の蓮華も目立たなくしてる、そんな印象を受けるのでした。 手がたくさんあったり顔がいくつもある神仏が普通にいる地域、 もしかしたらそもそもは素直に「七支」の「支」も手足を意味する「肢」と同義の用法で、 当初は本当に「7本足の象」という設定だったのかもしれませんが、 そしてそれが場所や時代が変わるうちに 「5本足」と鼻と尻尾の解釈に変わっていった可能性もありますが、 まあとにかく私は、 岩絵の描かれた時代、そして、仏経典に白象に乗る普賢菩薩が誕生した時代には、 今と違って、動物の雌雄に伴う特徴は、フィクションには出来ないくらい 当然過ぎるほどに人々に共有されていた感覚だった、そんな社会だった、 そんな当時を垣間見た気分だったのでした。 2つのランキングに参加中。 クリックするとランキングが上がる仕組みです。クリックしてね~^^ ![]() ![]() にほんブログ村 旅行・観光 ブログランキングへ ■
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by xiaokobamiki
| 2013-05-31 02:15
| xiaokobamikiサン観察日記
上野の国立博物館で始まった『大神社展』に行ってきました。 ![]() 今年行われる伊勢神宮の式年遷宮を記念して、 ということで、神社本庁協力で全国の神社にお宝の出品依頼をしたそうで、 国宝、重要文化財を含むいろいろな品々が集まっていました。 ![]() 開催期間は、4月9日(火)~6月2日(日)。 まだ始まったばかり。私にしては珍しいです(笑)。 …というのも、 ![]() 国宝・七支刀(しちしとう・石上いそのかみ神宮)が出品されているのですが、 これが 七支刀の展示期間は、石上神宮のご好意で 5月12日(日)まで延長 されたようです。なので、空いてるうちにのんびり見ようと、さっそく出かけたのでした^^ 思った通り会場は空いていて、のんびりじっくり見られました。 七支刀は、刀身の両面に金象嵌で文字が記されているのですが、 照明のポイントが微妙で(笑)、全然見えませんでした。 もともととても読みづらい状態のようなので仕方ないんでしょうが、ちょっと残念。 その後照明が改善されたようで、 この刀は4世紀・古墳時代のものと考えられているのですが、 発掘されたのではなく、1,600年以上の歳月を神社が伝えてきてるものなんですよね。 日本書紀・神功皇后の巻に百済からの貢ぎ物として記されている『七枝刀』が この七支刀ではないか、とも言われています。 形が印象的なのに加え、そんなこともあって、個人的には国宝中の国宝の一つと思ってます。 いずれにせよ、古墳時代から代々ずーっと伝えてきて今ある、ってすごいですよね。 神社のお宝は、「神様のもの」として大切に扱う性質上、 その当時のものが、よいコンディションで伝えられているものが多いのです。 石上神宮が千数百年を伝えてきた古墳時代のものには、 2枚の大きな鉄の盾(5世紀)もあって、 そのうちの1枚はいつも国立博物館に展示されてるんですが、 今回は、この大神社展の方に出展されてました。 ![]() 普段展示されてるときの鉄の盾(重要文化財)。 錆びてはいますが、小さな鉄板を鋲で繋げて大きな1枚にしてあります。 もし地中に埋まってしまったら、日本の気候風土を考えると、 鋲の留め方や鉄板が作り出す模様などの当時の意匠は失われてしまうでしょうから、 埴輪などに表現されているものの現物がこのように確認できる、というのは本当に奇跡、 伝世品ならではです。 さて。そのほかの展示もよかったですよ~^^ 大昔には世界各地で「人」を捧げるほどであったくらい、 何かを願って、とか、願いがかなったお礼に、など、 昔の人々が神様に奉納した品々というのは、手を抜かない品々。 たとえば、こちら宗像大社所蔵の 国宝・金銅製龍頭(こんどうせいりゅうとう・6世紀)。 ![]() 沖ノ島の岩陰の祭祀遺跡から出土したものだそうです。 金銅製というのは、銅に金メッキを施したもののことなのですが、 半露天状態でさらされて、埋もれて、発掘されてもこの輝きの金メッキって、 非常に質の高いものですよね。 航海の安全を祈る祭祀に使われたもののようです。 この龍頭の展示は今日4/21(日)まで。これが一番展示期間短い作品です。 神さまにはこうした上質の品々が捧げられ、 そして、神さまのものなので大切に扱われ伝えられる。 たとえば、こちら鶴岡八幡宮所蔵の 国宝・表着 白地小葵鳳凰模様二陪織物 (うわぎ しろじこあおいほうおうもようふたえおりもの・鎌倉時代13世紀)。 ![]() 神様のための着物なので、 実質誰も着ておらず、奉納された状態でそのまま大切に伝えられてきているのかな、 とにかく、すごーくコンディションがいい。 700年以上前の着物がこの状態で伝えられてるってすごいですよね。 奉納したのは後白河法皇(または亀山上皇)ということで、 当時の宮廷女性の装束の形や柄、クオリティなどを 今の世にあって目の前で見ることができるわけです。 表着には他に、熊野速玉大社が伝えてきた南北朝時代のものも展示されているのですが、 それにいたっては本当に保存がよく、ずっしりと重そうな質感がすごいですよ。 現代の普通に目にする着物には、絹製でもあの質感はないですよねー。 …と、こんな感じの、神に捧げられたものや神社関係のお宝が展示されています。 美術館・博物館に収蔵された「展示を前提にしたもの」ではなく、 普段は全国の各神社にあるものなので、 へぇーこんなのがあったんだー、な品々ばかりでした。 特に個人的に印象に残ったものとしては… まず、鞆淵八幡神社(ともぶちはちまんじんじゃ・和歌山県)所蔵の 国宝・沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんこんどうそうしんよ)。 ![]() 平安時代12世紀のものです。 今回一番印象に残ったのがこの神輿。 神輿、つまり「おみこし」。今でもお祭りのときに担ぐ、あれです。 神様が外出する際に乗る乗り物ですが、この重厚感はすごいものがありました。 天皇の行幸時の正式な乗り物である鳳輦(ほうれん)に準じているようで、 そのまま人が乗れるような感じ。 細部まで手を抜かずに作られていて、 かつてのお神輿ってこんな本気仕様だったんだー、と感動しました。 それにしてもよく今まで残ったなぁ。 そして、鹿島神宮所蔵の 国宝・直刀 黒漆平文大刀(ちょくとう くろうるしひょうもんのたち)。 平安時代9世紀のものです。 ![]() 1,100年以上昔の刀が錆びてない状態で伝えられてる、 ってことだけでもすごいですが、 これの何にビックリしたって、その長さ。 この刀、ものすごーく長い。 刃の長さが223.5cm、外装の長さが270.5cm。 ただの長い金属棒といった感じで(言いすぎだったらすいません)、 実用の武器ではないと思うんですが、 刃文がない(ように見えるだけ?)ので とにかくものすごく長い。3m近い(笑)。 こんな刀あったんだー と、もうビックリでした。 個人的に特に印象に残った最後は、 国宝・平家納経の願文(厳島神社・平安時代12世紀)。 ![]() この願文、平清盛の自筆なんだそうですが、 この清盛の字が、とっても印象に残りました。 バランスがよく、粘りがあって太く力強いのに滑らかで、 「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言われた平家の繁栄は、 清盛の器や人的能力の高さの結果だったんだなぁ、と感じた次第です。 その他、平安時代の優美な矢(春日大社)や、 「矢ってこんな風に収めてたんだー」がわかる 平胡簶(ひらやなぐい・矢を入れるケース・熊野速玉大社)も 印象的でしたが、それが伝わりそうな画像がないので省略します。 展示の感想はこんな感じです。 よかったですよ~^^ これまで絵画などで目にしたものの現物はこんな感じなんだー などなど、かなり楽しめました。 後半に大きく展示替えがあるようなのでまた行くつもり^^というくらい満足(笑)。 ただ、絵画関係は、縁起絵とか宮曼荼羅とか地味です。 襖絵とか屏風絵のような華やかで見て「わ~♪」ってなる絵画がないので、 そういうのが好きな方から見るとつまらない展示かもしれません(笑)。 万人向けではないかもしれませんが、興味ある方はぜひぜひ^^
この特別展は、ミュージアムショップの商品も個人的にはツボでした。 ![]() まず、図録が2,300円。 この手の特別展の図録としては、普通よりちょっぴり安い。良心を感じまする(笑)。 買っちゃいました。 ![]() かわいい柄のポストカードとしおり。ポストカードは版画っぽい感じ。 ![]() どれも『大神社展』のロゴが入ってて、 あーあ、関係者には配りまくってるんだろうなーとか思いつつ(笑)。 ![]() ファイル。 これもロゴ入り。上と同じようなことを考えつつ(笑)。 展覧会に行っても、図録は買うことがあっても、 この手のミュージアムショップの商品を買うことはまずないんですが (だからこれまでお買い上げエントリーがほとんどないのです)、 珍しく買ってしまいました。 次買うのは何年後だろ?(笑) 大神社展 http://daijinja.jp/index.html ブロガー50人を内覧会に特別招待、ってのを今募集してるようです。← 終了してます(4/23実施) 専門家の話は聞けるし、閉館後のたった50人の見学だからゆったり見られるだろうし、 気になる~!のですが、応募する勇気はありません(笑)。 2つのランキングに参加中。 クリックするとランキングが上がる仕組みです。クリックしてね~^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2013-04-21 10:52
| xiaokobamikiサン観察日記
写真は記録的な感じでよく撮りますが、 とりあえずパチリって感じでいい加減、 写真がないよりはあった方がいい、くらいの気分で、ちゃんと撮ろう!精神が希薄です。 でもそんな私でもたまーに、これはなんとか撮りたい、と思うものがあるんですが、 それが一向にうまく撮れません(笑)。 そんな時だけにわかに一生懸命になっても、 そんなにうまく行くわけないじゃん、で当然なのですが(笑)、やっぱりちょっとガッカリ。 そんな「なんとか撮りたい」画像の筆頭が、芽吹きの時期の木。 葉を落としてる木が、春、芽吹く直前になってくると、 枝がツヤツヤしてくるんですが、 それがまぶしい春の日差しを浴びると光るみたいに輝くんですよね。 これを何とか撮れないかなぁ、と見かけると思いつくわけです。 そう、「思いつく」(笑)。 うまく撮るために1年間精進して芽吹きの季節に備える、とかは全然なくて、 見かけると、急に「撮りたい」と思う、という実に私らしい反応でパチリとする(笑)。 で、当然、全然うまく撮れません(笑)。 最初に撮ろうと思ったのは、もう10年ほど前、中国の山奥で。 デジカメでパチリと撮るものの、全然うまく撮れない。 何枚か撮るうちに、うんうんうまく撮れたゾ^^にいきついて満足したのですが、 カメラの液晶画面ではうまく撮れてるように見えても、 パソコンの画面で見るともう、それはそれはひどい画像で、ガッカリしたのでした。 以来、何度やってもうまくいかず。 だいたいが、そもそも光ってるように撮れない。 たまーに光ってるように撮れても、拡大していくと、納得いかないくらいブレてる(笑)。 ![]() 今年もブレた。 しかも、 ![]() 実際はもっともっと光ってるんですが、全然ダメです。 そして何より、撮りたい「木全体」は、 液晶画面や縮小画像で見ると今度こそうまく撮れたような気分になるんですが、 等倍で見ると、もうブレまくってて、 楽しみにしてた分、もう2度と見たくなくなる…(笑) もともと私の場合、ブレ画像とか傾いてる画像が多いんですが、 そんなの見ると、写真って絶対性格が反映するよなーと思うのです(笑)。 ![]() 毎年こんなことやってるんですよねー。 でもね、答えを聞いてうまく撮れたとしてもつまんない。道具を使うのもつまんない。 まぁ、また来年、です。 来年はうまく撮れるかな。 ちなみに使った画像はどれも、一部分を切り取ったものです。 全体をこのサイズに縮小すると、私の知識では光ってる感じが出せないのです(笑)。 2つのランキングに参加中。 クリックするとランキングが上がる仕組みです。クリックしてね~^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2013-04-14 03:55
| xiaokobamikiサン観察日記
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by xiaokobamiki
| 2012-11-10 23:56
| xiaokobamikiサン観察日記
明治時代の○○円は今ならいくらくらいになるのか、というのを探していたところ、 当時の貨幣価値を今の時代に置き換えるのは、 以前エントリーした 外国での貨幣価値 のつかみ方 と 基本的にはおんなじルールなのに気がつきました。 その国の最高額紙幣のその国での価値は、 日本の最高額紙幣1万円の日本人にとっての価値とおんなじ、って話。 明治時代の貨幣価値についても、その当時の物価を見ると おおよその貨幣価値と当時の社会構造のようなものが見えてきます。
この感じだと、明治20年代半ばの金銭感覚は個人的には、 1銭はおおよそ今の100円 というのがしっくり来ます。1円がおおよそ今の1万円。
ね。いい感じでしょ^^ ヤフー知恵袋に「明治時代の15円はいくらですか?」という質問があって、 この数値を使った回答があったのですが、その中で、 理髪料金を元にすると、 という分析がありましたが、この理髪店の発想はダメです(笑)。 当時の理髪店は法律で規制されてるわけでも資格が要るわけでもなく、 もっと敷居が低いのが一般的だったと思うんですよね。 たとえば、こんな感じの敷居の低さと値段の安さ。 だから、だいたい500円くらいが一般の理髪店の水準と思われます。 きつねうどん100円。うどんってところが大阪です^^ これは今で言えば立ち食い蕎麦的な、屋台など庶民的なお店での価格と思われます。 アメリカやヨーロッパはわかりませんが、 多くの国では、普通のお昼ごはんは日本の感覚での500円が相場。 背伸びしないけど特別安いお店を狙うわけでもなく、普通の昼食でこんな感じ。 今の日本は安くなってきてるとはいえ、高すぎ。 今でも安いのは、どこのどんな材料使ってるのかってな怪しげに感じる、 「その500円はやだなー」な500円。 日本の外食価格は、流通とかもう構造とかの全体に問題あるんだと思うんですが、 そういうわけで、他国の食物価から考えると、 お手軽なうどんはこんなもんでおかしくないと思います。 そして、これはあくまでも大都市の大阪だからの貨幣価値。 大阪では1円はおおよそ1万円ですが、 同じころでも、地方に行けば行くほどその価値は跳ね上がって、 1円は2万円3万円の価値になっていくはず。 そしてもう一つ。 1円がおおよそ1万円の大阪など大都市での貨幣価値についても、 円の数字が大きくなれば、その価値は単純な比例ではなく、 累乗的にどんどん大きくなっていくはず。 たとえば、1円、10円、100円は 単純に1万円、10万円、100万円、ではなく、 1万円、20万円、300万円、とか。 「当時の物価」は、計算でいろいろはじき出すのが一般的ですが、 結局やってることはこれとおんなじ。これを数式化してるだけです。 おおよその数値でいいのなら、こんな感じの捉え方で十分かと思います。 ただし、これはこのくらいの値段が妥当、ってな金銭感覚がベースになるので、 そうした日常の金銭感覚・生活感覚は必須になります。 最初のエントリー時、コーヒーの価格を勘違いしてたので、 その部分削除しました。 ランキング参加中。 よろしければクリックお願いします^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2012-11-05 23:59
| xiaokobamikiサン観察日記
若いころに茶道を習っていたこともあって、 私はいまだに畳の縁を踏めません(笑)。 誰が見てるわけでもないんだし、別に踏んだってどうってわけじゃないんだし、 と思っても、踏めない(笑)。不自然な歩き方になっても跨いじゃう。 もちろん敷居も踏めません。 やっぱり、踏んだってどうってことないんだし、とは思っても跨いでしまう。 おんなじようなことで、左手も人とのやり取りに使えない。 左手を不浄とするエリアにいたときに、 ずいぶん意識して左手を使わないようにしたせいで、 その地を離れたあともそれが抜けず、 「ここでは左手使っていいんだから左手使わなきゃおかしいでしょ」 と、どんなに自分に言い聞かせても未だにまず使わない。 以前のように意識して「左手も使わなきゃ」って思うことはなくなったけど、 じゃあ左手使ってるかと言えば、 見事に使ってない自分にたまにハッと気づく(笑)。 何事も、自分の内から意識して制御してきたものっていうのは、 その環境を離れても、 そうしたシーンに出くわすと自然に発動して自分の行動に影響するもんだなーと、 興味深いものがあります。 人にあったら挨拶をするとか、ゴミ箱にゴミを捨てるとか、食後に歯を磨くとか、 広い意味での「しつけ」はなんでもそういうもなんだろうな、と思うのです。 ゴミ箱に捨てずにその辺の床に捨てていいよ、と言われても、 食後に歯を磨かなくていいよ、と言われても、 多くの人は、「そんなこと言われても…」だと思うんですよね。 ゴミはゴミ箱に捨てることで、食後に歯を磨くことで、落ち着くというか。 意識して自分に働きかけて自分を制御して何かを身につけるって、 多くは「しつけ」に属するものって、 その後の本人の行動への影響力の大きさを考えると、とっても大事なことだなぁと、 そんなことを考えると改めて思うわけです。 最近、そういう「制御」「抑制」系のしつけってされてないですよね。 例えば鉛筆の持ち方一つ見てみても、 今の若い人ってほとんどグー状態の「持つ」というより「握る」感じ。 こんなのも、小さいときの「しつけ」という方向性の提示と それを受けての本人の自発的制御で、どうにでもなったものなわけですが、 そういう部分を多くの親なり教育なりが放っておきっぱなしだった結果が 握って書くのが大多数、っていうすごいことになっちゃってるわけで。 鉛筆の持ち方自体はあくまでも一つの目に見えるわかりやすいものですが、 こんな感じの「エセ放任」みたいなので多くの人が大きくなってるかと思うと、 なんだかなぁ…を感じてしまうのは私だけなのかなぁ。 制御することを身につける、ってのはすごく大事なことなんだけどな。 ランキング参加中。 よろしければクリックお願いします^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2012-11-04 23:53
| xiaokobamikiサン観察日記
以前、明治天皇に「逝去」の文字を使っていた博物館の説明書に 違和感を覚え、エントリーしたことがありましたが、 こちら 皇族が亡くなっても「薨去」という言葉は使わないんですね。 すべて「逝去」にしようとする大いなる意思を感じてしまいました。 <寛仁さま>逝去 66歳 「ヒゲの殿下」 前にも書きましたが、 天皇に「崩御」、皇族に「薨去」を使うのは、 尊敬云々以前の、 お正月に「あけましておめでとうございます」と言うのと同様の、 昔からある日本語の型だと思っています。 言葉の後ろにある様々なものまで伝える複雑で美しい日本語の型の1つ。 文化の一つ。 日本人だから使い分けられるようなところがあると思います。 日本語簡単にすることと共に、 天皇制に反感を持つ内外の人への敷居を低くするのが狙いなんでしょうか。 こんなのは氷山の一角で、手を替え品を替えいろんなことが進行してってるのかなあ。 こういう一見どうでもいいようなことを、長い年月掛けて積み重ねていくことで、 日本人だけが持ってる、 日本の国土で日本の文化の中で長い世代と年月をかけて作り上げられてきた 日本のアイデンティティを無くしてく、って感じ? 身分を前提にした「崩御」や「薨去」を単なる敬語の「逝去」に変える。 尊敬語や謙譲語や特別な言い回しや、そんな、 日本人でもある程度教育が必要な(つまり金がかかる)、 外国人にいたってはさっぱりわからない、というような言い回しを 全部なくして、目に見えない障壁を取っ払いたいのかな。 こういう、状況などに応じて使い分けてた言葉を平たくしていくって、 極端なところまで徹底すると、 ビジネスでも年上でも年下でも誰に対してもどんな状況でも、 日常全部タメ語でいいじゃん、ってことになるわけですが、 そういう世界でいいのかな。私はイヤですが。 言葉は生き物、社会に応じて自然に変わっていくものですが、 こういう意図的な感じの変え方は気持ち悪いわ。 言葉は、それを支える社会の土台があって、 複雑な社会はそれを支える複雑で多くの言葉があるもの。 それを使いこなす人々のアタマの働きもそれに応じて自然と高くなり、 そういう人々で構成される社会は普段表面には出てこない多くのタメがあるもの。 そしてそれが社会の底力になる。 言葉を単純化するってことは、社会を低いところで単純化させること、 それを使う人々のアタマの働きも自然と単純でのっぺりしたものになる。 思考の深さも浅くなり、速度も遅くなる。 ついでにいえば、その国の物価は、 その国の人々のアタマの働きとそれを基にした行動など トータルの能力を数値化したもの。 日本人から見て「安い」って感じる国では、 人々の思考も行動もその程度のもの、値段なり、というのが個人的感想。 だから、今の低賃金化の流れは、そのまま、 途上国への国民水準の流れを意味してるってこと。 そして、こんな感じで言葉(とそれを反映する社会)の単純化でそれを後押ししてる。 わかってるのかな。 その場合日本語では「逝去」ではありません ふざけるなーっ!!! と怒ってること 価格はモノの価値、物価はその国の国民の価値 職場には格あり、それにふさわしい服もあり ランキング参加中。 よろしければクリックお願いします^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2012-06-07 00:57
| xiaokobamikiサン観察日記
今週の月曜日、朝、NHKのラジオをつけていたら、 中国事情についての話が始まりました。 コメンテーターについての最初の紹介の部分で、 日本には1ヶ月に1度くらいのペースで来てるんですか? というような内容の司会者からの質問があったのですが、 相手はそれについては答えず、 日本でこんな感じでいくつも講演会がある云々 というような内容の自分の言いたいことだけ的な話が始まりました。 それまでは聞き流してたんですが、その会話の噛み合わなさに、 何これ? で、結局毎月のように来てるわけ?どうなのよ? と、日本人としては気になってしまい、聞き始めてしまいました(笑)。 日本語発音もちょっとヘンだし、 こんな感じで日本語の会話もイマイチ噛み合わずなので、 どうも中国人らしいなぁって感じだったんですが、 その後、本題の「中国の自動車事情」という話に入っていきました。 中国市場での日本車のシェアの話になったとき、 日本車は多くない、売れた車全体の5%にしかならない という内容の話になりました。 その後、どんな風に話を持っていくのかと聞いていましたが、 ようは、日本車は日本人が思ってるほど中国では大したことはない、 というような話のまま進んでました。 非常に恣意的で、基本的に日本が嫌い、 意識してわざとそういう視点しか提供してないのが見え見えだったので、 聞くに値せずで途中でラジオを切ってしまい、最後までは聞いていないので、 その後どういう話の展開になっていったのかは不明ですが、 「日本車のシェアはわずか5%」 この点の実質的な内容には触れそうな気配がない話の進み方だったんですが、 実際はどうだったんでしょうか。 話の主は、自力では何も出来なかった共産中国の土壌で育った人民中国人。 彼がこういう視点で話すのは別に構わないのですが、 日本で、中国でのビジネスについての講演会の依頼が結構あるらしい ってところが、日本人の大バカっぷりって感じで、いやーな気分になるわけです。 こんなゆがんだ夜郎自大発想で自画自賛、の中国人視点の話を お金払って「唯一の答え」って感じで有難く聞いてると思うと、 ある意味 カルト宗教信者と変わんないなぁー、って感じ。 でも、日本での中国関係の報道って、日本人がやってもこんな感じなんですよね。 中国人による講演会でこういう話がされるのみならず、 日本のテレビ・ラジオ・新聞・雑誌なんかのマスコミのスタンスが また基本的に全部これ。「日本はダメだ」「中国はすごい」。 中国ペースの話になるような土壌作りを日本のマスコミが長くやってきてる。 日本人の温度感覚に直した、日本人視点からの話が出てこない。 ラジオ聞いてて、またかいな、って感じで切ってしまいました。 この「中国での日本車のシェアが5%」っていう話、 確かに最近の中国のことはわかりませんが、 そんなに劇的に大逆転されるほどの状況でもないと思っているので、 参考までに、今から10年前の2002~3年ごろの話を書いておきます。 ちなみに、2006年でも基本的には変わってませんでした。 当時滞在していた、遅れた中国の内陸部の四川省の省都・成都では、 日本車はほとんど走ってませんでした。 窓が開くからいいようなものの、 そうじゃなかったら一酸化炭素中毒で死ぬんじゃないか、の 排ガスが車内に大量に流れ込んでくるバス、とか、 乗ってるうちに勝手に壊れてくちゃちい車とか、 雨後のタケノコのようにいろいろ沸いていた国産の車が主流。 そこそこの金持ち家族らしき人たちが自家用車を買い始めた感じの時期で、 そういう人たちは真新しいホンダ車に乗ってました。 ちなみに当時、掃除機とか洗濯機も見たことありませんでした。 ほとんど普及してなかったと思います。 ビザの更新で、広東省の広州経由でマカオに向かったとき、 高速道路を埋める車がほとんどすべてトヨタを中心とした日本車、 という、見慣れた景色を見たときに、 ああ、やっぱりなぁ。 四川とかの内陸では中国車ばっかりだったけど、 中国人だってお金があれば日本車を選ぶんだよね。 中国車なんか買わないよなぁ。 と思ったのを覚えてます。 中国車が席巻してた四川省にあっても、山間部に行くと、 公安や電話会社をはじめとした公用車はすべて、 トヨタのランドクルーザーやハイラックスサーフを中心とした 日本のピカピカの4WDでした。 車高の高い4WDの公用車は完全に日本車だけの世界でした。 ああ、この国は日本車が入ってくるまでは、 実質的には山間部を治めることはほとんどできてなかったんだな、 と思ったのを覚えています。 中国ではありませんが、東南アジアのミャンマーでは、 他の東南アジア諸国が日本のバイク一色の中、 中国製のバイクがそこそこ走っていました。 でも、地元の人が言うには、 誰も中国のバイクなんか買いたくない、 日本のがいいのはわかってるから、みんな日本のバイクがほしいけど、 中国のバイクと日本のバイクでは値段が全然違う(3倍差くらいだった?)から、 わかってても中国のバイクしか買えなかったりする、ってことでした。 中国は広大で、 人々の水準も沿岸の都市部と内陸では、同じ国なのに、 先進国と最貧国くらい本当にものすごく違います。 そうしたものを均しての5%、と私は思っています。 所得の高い都市部だけの日本車シェア、 内陸部での公用車の占める日本車割合、とか、 そういう数字こそが、現在の中国においては、 本当の日本車の中国での地位を測る数値だと私は思ってます。 そういう日本車の実態に全く触れずに 「5%」の数字だけで話を進めたところに、 非常に恣意的なものを感じたのでした。 【関連エントリー】 中国事情を語る際の中国側の恣意的な物言いの例 もう前からこうです(笑) 途中でも書きましたが、 日本での中国に関する報道は基本的にこんな感じで、 多くの日本人がそれをそのまま日本の温度と思って鵜呑みにしていて、 非常に問題だと思っています。 確かに、中国の国内メーカー以外にも、 多くの外資が参入してきているのは確かで、 今でも日本が圧倒的なシェアを都市部で保っているかどうかは不明ではありますが。 補足書きました。 先エントリーの補足 ランキング参加中。 よろしければクリックお願いします^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2012-05-30 00:29
| xiaokobamikiサン観察日記
えっと… あれれエントリーです。お好きな方だけでよろしくお願いします(笑)。 別ブログに書けって感じですが、 そこまで特殊な話でもないのでこっち。 ちなみに、今回のタイトル、 すべてを語ってる、実は一言ですべての真理を凝縮した、 汎用性高い非常に金言なタイトルなんですが(自分で言うなよ って)、 本エントリーの内容自体は大したことありません。 桜のことを書こうと思ってあれこれ考えてるうちにいろいろ広がってきて、 その派生的な感じの話題ですが、何段も飛んで飛んでの果てなので、 読んでもどこが桜に繋がるのかはサッパリわかりません。 結果的に無関係エントリーになりました、ということです(笑)。 桜については気力があればこのあと書きます。 * * * * * 泊まったお宿が幽霊部屋だった話 をむかーしエントリーしたことがあるんですが、 このときのことについて、一度ちゃんと書いておこうと思った次第です。 概要はエントリーした通りなんですが、 幽霊らしきものに恋人のようにピッタリ添い寝された翌日 (って書くとなんかアホっぽいですが)、 部屋を替えるでもなく、チェックアウトして宿を替えるでもなく、 相変わらずその部屋でどうするか、どうしたら平穏に過ごせるかと、 非常に前向きに考えてみました。 幽霊遭遇直後は「明日絶対に宿替えよう」と思ったんですが、 朝になって、明るい日差しの中にいると、 何とかなるような気がしてきちゃったんですよね。 で、どうしたらお化けが出ないかを一生懸命考えたのです。 当時の滞在環境は、停電も多く、インターネットはできない状況。 でも、たとえインターネットで検索ができてたとしても、 当時の私では、「除霊」とか「お祓い」とかの、 状況を打破するためのキーワードがそもそも浮かばないような、 知識そのものが全くない状態(今も外から得た知識はほとんどないですが)。 聞く人もおらず、自分に知識もなく、 あーあ、霊とかの話、少しは関心持って読んでおけばよかったなー と 後悔することしきり。 何とかしなければならないんだけど、何をしていいのか全くわからない中、 とりあえず一生懸命「考えた」わけです。 この場合、呼び出す「知識」はないので、 いわゆる一般的に使われる「考える」ではなく、 体の内側にサーチをかける、といった感じの「考える」をした次第です。 これ、よくやるのです。 何か食べたいけど何が食べたいのかわからないとき「何が食べたいかなぁ」とか、 調子が悪いとき、どこが悪いかなぁ、とか。 あらゆるものを総動員して体の内側にあるあらゆるものをサーチしていくと、 答えを発しているものを見つけるんですよね。上手く表現できないんですが。 そういうわけで、 体の内側が発してるらしい何らかの「こうしろ」を探ったのです。 お宿を移らなかった時点で、 内側で何らかの対処方法を持ってるらしいことは漠然と感じてて、 その対処方法を探って対処するか(自力で対処可能) or 他に移るか(私ではどうにもできませんムリです) の無意識の選択で、 対処可能の判断出してるんですよね。 とはいえ、この場合、対処可能というよりも、対処方法を漠然と感じて、 せっかくのケースだしいろいろ試してみたくなった、っていう、 いつもの、無駄にチャレンジャーな部分を刺激されちゃった結果なんですが。 サーチした結果、最初に出てきたのは「塩」。 でもこれは、盛り塩なんかを日本や外国でもいろんなところで目にして来たから、 その記憶から、ある意味直接的に湧いたものだと思います。 でも自分の中では、感覚的に、塩を盛るだけじゃ全然甘い、ってイメージで、 これでOK、万全だわ、って気分には程遠かったんですが、 それでも塩を入口や窓、部屋の隅などに置いたら、 うっすら一枚幕がひけた感じでした。 ちなみに置く場所についても、体の内側をサーチして、 「ここに置け」な感覚を感じる場所に置いたのでした。 でも塩だけじゃ気休めにしかならない感じで、 もっと強力なことない? とさらに体のほうに聞いてみたところ、 木を燃やして火をがんがん焚いて炎を出すことと、 常緑の香りのいい葉を燃やして煙でとことんいぶす、というのが出てきました。 部屋で炎がんがんに火を焚くってのは現実問題ムリだけど、 ちょうど村に香りのいい常緑樹の枝があったので、そっちはOK、 それをもらってきて、いぶしました。 ここでね、唐突に煙でいぶすって発想が出てきたことで、 古今東西、仏教でもキリスト教でも道教でもイスラム教でも、 香りのいい煙を焚くっていう形態があるけど (たとえば仏教とか道教だとお線香ね)、 あれってその場を清浄にするって意味で、 本当に何らかの意味があるんだなぁと思った次第です。 勝手に感じたイメージでは、 煙でいぶし出す+香りで場を変え整える って感じなのかな。 ついでに、あくまでも私の中での感覚ですが、 日本の神道だと、香りで清めるんじゃなくて、 もっと根本的に清めるイメージなのかな。 日本人があんまり香りのものつけず(毎日風呂に入るとか徹底的に清潔にしてね)、 外人さん文化圏では香りを多用するってのに似てると思います。 とりあえず、 限られたモノしか手に入らない状況の中で思いついたのはこの2つでした。 正直、感覚的には、状況に対してこれじゃあ全然甘くて、 気休めに毛が生えた程度のモノでしかない感じでしたが、 現状できることはこの程度しかないって感じでもありました。 (炎をがんがんに焚く ができたら、もうちょっと強力だった気がしないでもないですが) 夜になると、今考えると、もう毎晩ラップ音だらけ。 当時は、あまりにも もはやラップ音とか思うような頻度とか奥ゆかしさではなく、 ひっきりなしに、天井のほうから、壁のほうから、入口のドアのほうから ピキッパキッドンドンゴンゴンガンガン。 せっかく部屋でのんびりしてるってのに うるさ過ぎる… 普通の騒音になってひっきりなしに聞こえてくる。 この宿に限らず、途上国の安宿では、 いろいろ音がする部屋に泊まることも多々あるので、 基本的に音は大して気にならないんですが、 それにしても、この宿の音はスゴすぎで、 いい加減アタマにきちゃったんですよね。 奥ゆかしくたまに音がしてれば怖かったのかもしれませんが、 あまりにも、ウザイくらいうるさいので、 もう、こっちの怒りのテンションも上がりまくり。 たとえば部屋の木製のドア。 ひたすらドンドンガンガン、 激しいノックと、 何とか入ってこようと鍵のかかってるドアを開けようとするような音が絶え間なく。 でも何度開けて外を見てみても、誰もいない。 開けてる間はドアは静か。でも閉めるとまたすぐ始まる。 もうね、ピンポンダッシュをやられ続けてるような気分(笑)。 で、あまりにもうるさくてしつこくてムカついて、 とっさに思わず、関取が塩撒くみたいに塩をごっそり握って、 もーうるさーいっ!!!!!!!!! ってな感じで、いい加減にしろ気分でドアに思いっきり投げつけたんですよね。 (オーバースローで全力でたたきつけた感じ) すると、 それまで連日ひっきりなしに聞こえてた、このドンドンガンガンの音が、 この一瞬を境にピタッとやんだのです。 その後、滞在中全くしませんでした。 この実体験で、塩って、塩を撒くって、 たとえば相撲で塩を撒く、あの儀式って、 本当に清めの効果あるだなぁと思った次第です。 ただし、私がこの塩をドンドンガンガンするドアに投げつけたときって、 「いい加減にしろ」「消えろ」って一心で衝動的にとった行動で、ある意味無心状態。 そもそも塩を投げつけること自体が、 考えてやったわけではなく、本能的行動って感じ。 儀礼的に塩を撒いても意味はなさそうだけど、 こんな感じで一心にやると、悪霊退散的な効果が出るようです。 ということで、 香りのいい煙でいぶす、とか、塩で清める、っていうのは、 ちゃんとやると、本当に効果があるらしいことを感じたのでした。 節分の豆まきなんかもそんな感じなのかもしれませんね。 転んでもただじゃ起きないでしょ(笑)。 このときの、ラップ音だらけな上に幽霊まで出る部屋、 いたのは1幽霊だけじゃなくて、いろんなものが集まってたような気がします。 統一性がなかったんですよね。ひっちゃかめっちゃかって感じで。 他にも、この手のまじないとか迷信的なもので、 「確かに意味あるわ!」って感じた経験あるものもあるので、 気が向いたらまたこちらにエントリーします。 あれれにおつき合いいただき ありがとうございました^^ ランキング参加中。 よろしければクリックお願いします^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2012-04-22 02:20
| xiaokobamikiサン観察日記
大好きな夕暮れのビクトリアハーバー。 ![]() 百万ドルの夜景@香港。 ・・・なんですが、なんかやな予感… この時間帯が一番キレイだってのに… ![]() 暗くなってしまいました。 この写真のやる気のなさですでにお分かりかと思いますが、 ![]() 相変わらず、 空気の読めない、自己主張の強い看板 約2。 せっかくの夜景が… 端っこの方ならまだしも、 こんな ど真ん中でこれやられちゃうとねー。 ったく、どこのメーカーよ? って撮った写真を拡大チェックしてみれば、 ![]() 嗚呼… すごい説得力。(笑) 国民性 その2 ランキング参加中。 よろしければクリックお願いします^^ ![]() ![]() ■
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by xiaokobamiki
| 2012-03-09 02:33
| xiaokobamikiサン観察日記
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